卒業おめでとうございます。

3月といえば、やはり卒業ですね。

わたしの子供もこの春に中学校と小学校、そして幼稚園を卒業します。

学校を卒業されるみなさん、そして支えて来られたご家族のみなさん、卒業おめでとうございます。

新型コロナウイルスによる騒動で、長い休校期間に入ってしまい、卒業の実感がわきづらいかもしれませんが、みなさんだけに許された経験だと思って前向きにとらえてみてください。

さて、学校生活はいかがでしたか?

みなさんが卒業した、学校って一体なんだったのでしょう?

そして、次に進学するのであれば、そこでは何を学ぶのでしょう。

7歳の年になったから家の近くの小学校に行き、毎日の宿題に取り組みながら、中学校に進み、そして、高校、大学。学年がすすむにつれ、出来るだけ成績のよい学校を目指して日々勉強へのプレッシャーも大きくなってきたはずです。

これまではいかに正しい答えを導きだせるかが、評価の対象でした。

しかし、大学を卒業し、社会人となると、急に正しい答えが評価の対象ではなくなってしまいます。ともすると、正しい答えもあるのかないのかさえ、わからなくなってしまいます。

戦後、あるいは、高度成長の時代は拡大する事こそ正しい答えであり、それを社会が目指していましたが、多様な価値観が現れてきた現在、正しい答えを見つけることが難しくなっているのは事実です。

そのような時代にみなさんは社会人への準備期間を過ごしているのです。

そのような社会でも幸せに暮らしていけるように、年齢に応じたカリキュラムが組まれていれば、いまの社会でも十分対応していけるのでしょうが、残念ながら、まだまだ十分とは言えません。

昨年、東京大学の入学式で上野ちずこさんが「がんばっても公正に報われない社会が待っている」と話をされたとニュースになったことを覚えておられる方がおられるでしょうか。

けして、東大だけの問題ではありません。

いまを生きる私たちひとりひとりに課された問題なのです。

正しい答えを見つけるトレーニングをしてきた私たちが、社会に出たとたん突然答えのない問題に向き合うことになります。

これまでやってきた努力の方法では対応出来ないかもしれないのです。

 

正しい答えのない問題に対して、だれかが問題を解決してくれるまで待つという選択枝もありますし、ただただ目を背けるという選択肢もありますが、わたしは、その問題に対して自分なりに情報をあつめて、自分に出来る事をひとつひとつやってみたいと思っています。その結果が正しかったかどうかは実は問題ではなく、行動して何かしらの結果を得た事、そしてそれを次にどう活かそうとしているかこそが尊いことだと思うのです。

今回の新型コロナウイルス問題も社会がどうすればいいのか、万人に当てはまるような答えはどこにもありません。個人個人が自分の置かれた環境でどのように立ち振る舞うべきなのかを考えて行動しなくてはなりません。そして、考えて行動する為には、必要な知識や技術を蓄えておかねばなりません。そのために勉強しておくのです。

いまのカリキュラムはやっても無駄なのかというとそんなことはありません。答えのある問題にちゃんと答えられるからこそ、この問題には答えがないということがわかるのです。

人生に無駄なことはひとつもないと考えています。

卒業生のみなさん、ひとつの区切りがつきましたね。明るい未来にむかってまた歩いていきましょう。