『社内勉強会』お待ちしています。

今年も桜の開花宣言が行われましたね。昨日は西野さんの講演会の実行委員のみなさんとでお花見会をかねた打ち上げBBQでした。
人目を気にせず、おおいに外でお酒をのめるいい季節です。ですが、くれぐれも飲み過ぎには気をつけましょう。
さて、先週末は宮崎市佐土原で『在宅で看取るということ』
第5回認知症治療研究会で『私の在宅医療』というタイトルでお話させていただきました。
ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。
毎回、告知はするものの、報告をしていないのは、自分でも無責任だな、、と自覚はあるのです。出来るだけ報告も。。とは思っております。
『いい看取りとは何なのか』
『いい看取り』自体が人それぞれ価値観が違うplastic wordであること、『いい看取り』をチームで行おうとするのであれば、それがplastic wordであることをチームとして意識し、意思を統一しながらチームでケアしていくこと。
また、『看取り』の時期とはどこをさすのか?
治療の手だてがなくなってからがスタートではなく、施設であれば入所であったり、デイサービス利用であったり、ご縁をいただいたときからがスタートであるべきであり、また、出会ったときからの歴史だけではなく、そのかたが生まれてから、施設に入所するまでの、輝いていた時期も丸ごと受け止めて、その延長で『看取り』を考えるべきであるし、また、その方だけではなく、その方を取り巻く、ご家族のケアも含めてこそ、『いい看取り』といえるのではないか。。
また、『いい看取りとは』というhow toではなく、なぜあなたはその方を看取るのか?
看取る人のwhyを問うお話にしたつもりであります。
今回の講演会では90分だったこともあり、すこしグループワークをしていただきました。みなさん、真剣に話して下さり、その人のためになるようにケアを組み立てる。。という発表をしてくださいました。
おそらく先日参加してくださったみなさんの周りでは『いい看取り』ができていることでしょう。
ただ、先日施設で悲しい出来事がありました。
認知症も肺がんも進行し、いよいよ最期をむかえようというタイミングの方がおられます。確かに下肢の筋力が弱って、立つこともできません。そんなかたが『トイレに行きたい』と言っておられました。施設のスタッフに伝えると、『ああ、おむつ対応ですから。。』とトイレに連れて行ってもらえません。
あまりのひどさに私とうちのスタッフ、ちょうど来ていたケアマネとでトイレに連れて行ってあげました。
ケアをする立場からすると一人でかかえ、もう一人がおむつをはずし。。と確かに大変でしょう。
けれど、肺がんが進行し、食事も殆どとれず、幸い痛みはないけれど、眠る時間も増えてきたおばあちゃんが、唯一訴える『トイレに行きたい』をなぜ聞いてあげられないのでしょうか。
便がでていたようで、気持ちが悪かったのでしょう。そのあと『すっきりした。ありがとう』と言って下さったのです。
情けないやら悔しいやら。。
現場はまだまだそんなレベルです。
ただ老後の時間を費やすためだけが施設の役割ではないのです。これまで必死に生きてこられたひとりひとりの最期の生活の場なのです。
少しでも笑顔で気持ちよく過ごしていただきたい。。そんな施設をひとつでも増やしていきたい。
介護施設を含めて『在宅で看取るということ』のお話は、やはり社会のためにやっていかねば。。と確信しました。
ぜひ、社内勉強会に呼んで下さい。