開業のご挨拶

こんばんは。
遅くなりましたが、開業のご挨拶をさせていただきます。
通常、ホームページをつくり、「院長のごあいさつ」というタイトルをつけて公開するようなものでしょうが、手作りのクリニックでそういうところにはお金をかけておりません。

生い立ちなども入っており、また、あまり飾ったところがなく、お恥ずかしいことばかりなのですが、お時間があれば、ご一読くださり、お見知りおきのほどお願い致します。



このたび、平成25年8月に宮崎市船塚に船塚クリニックを開院させていただきました。船塚に新しいクリニックが出来たかな。。と思われるかたも多いかと存じます。
通常と異なり、建物を新築しての開業ではありません。自宅の一部を診療所としてみなす、いわゆる「みなし診療所」としてスタートさせていただきました。

国富町に生をうけ、本庄中、宮崎西高とすすみ、平成7年に宮崎医科大学を卒業いたしました。

母が看護師であり、小さい頃から母の勤務先の病院に入り浸っていたこともあり、物心ついたときには自分は医師になるものだと思っておりました。また、そう思い込んだのは、出産の折、ちょうどそばにあった鑷子を握りしめていた私をみて、取り上げていただいた先生が「この子は医者になるぞ」と言っていただいたというのを幼い頃から繰り返し聞かされていたためかもしれません。

とはいえ、普通の家庭で育った私が医師になれたのは、周りの方に励まされ、支えていただいたおかげだったと考えております。


小学生の頃は、少年野球に打ち込んでいて、特に勉強ができたというわけではありませんでしたが、小学4年で算数のテスト結果を渡される際、「お前はもっと出来るはずなんだがな。。」と担任の先生にいわれ、その言葉に突き動かされるように勉強を始めました。もしかすると一生で一番勉強した時期かもしれません。


そんな思いがずっと根底にあり、「自分は医者にならせてもらったんだ。医者になって本分を尽くさなければならないんだ」と感じて過ごしてきました。

何かに導かれて医者になった。。というと何か偉そうですが、いままでやってきたことというとなにも誇れるものはありません。


九州大学宮崎医科大学を受験しましたが、九州大学には及ばず、また、大学を卒業し医局を選ぶにあたっては、神経内科、脳外科、心臓血管外科、消化器外科で悩み、心臓血管外科に決めた!!とお断りの挨拶に訪れた第一外科で食事に誘われて、結局消化器外科へとすすむ優柔不断さ。そして、大学院に進んだものの、結局博士号まで到達せずじまいという中途半端さで、人としてとても未熟者であります。


平成7年から外科医として修練を積んできましたが、お世辞にもいい医者になれているとは思えません。逆に周りの先輩、同僚、後輩の先生方、さらには患者さん、ご家族に迷惑ばかりかけてきたような気がします。

それでも私を信頼して手術や外来、検査を任せてくださる患者さんに応えたいと自分に正直に進んできたつもりです。

その結果、平成20年10月に大学のローテーションを離れ、都城の森山内科クリニックに就職させていただきました。直前まで都城医師会病院におりましたが、手術は自分より上手な先輩、同僚、後輩にしてもらえばいい、外科医としての視点で、もっと早く病気を見つけられないだろうか、もっと言えば、手術をしなくてもいいように生活指導が出来ないだろうかと考えるようになりました。そこで当時から患者さん本位の医療を提供するという思いで365日、24時間体制で外来を運営されている同院で働かせていただくようになりました。


その思いを実現できたのかといわれると、当然、実力不足でさんざん苦い思いを致しました。理想は実現できないまでも、やり続けることが重要であるとは思っていたのですが、勤務体制の都合で夜間の勤務が多くなると、緊急の患者さんが増えてきます。都城地区の夜間の医療を支えている一助になっているという充実感はあったのですが、逆に、おひとりおひとりと向き合うことが出来なくなってきました。また、現在8歳、5歳、2歳、0歳の娘がおりますが、やはり夜勤が多くなり、妻と子供の精神的負担が増えてきたと感じたのも開業を考えたきっかけとなりました。


ふるさとの国富町での恩返しも勧められましたし、考えもしたのですが、4年前に自宅を作った船塚地区というのが子供たちのふるさとになります。

聞くところによると、自宅でそのまま過ごしたいのだけれど、通院が大変なので、やむなく施設に入所されるというご高齢の方がこの地区にはたくさんおいでになるとのことでした。縁のあったこの地域でわたしに出来ることを出来る範囲で一生懸命させていただくのはどうかと思った次第であります。


自分に出来ることってなんだろう。。と考えました。患者さんのそばにいて、耳を傾け、それに応えることで、みなさんに教えて頂きながら医師として成長していくことが、自分の歩む道なのではないかと思いました。


それでたどり着いたのが今回の在宅医療を中心とするクリニックの形態です。

外来はなく、その分のストレスはありませんが、ご縁をいただき、関わらせていただく患者さん、ご家族には真摯な姿勢で取り組ませていただく覚悟は人一倍あるつもりであります。


このように進んでいくのも何かの力なのかもしれません。

先日他界された、ある高名な先生がお元気だったころ、ふらりと私のところに来てくださり、「医は恕だぞ」とおっしゃってくださいました。それ以来、「恕」の言葉をずっと考えております。8月に開院して数ヶ月、まだ数名ですが、在宅患者さんとのご縁を通して、すこしだけ意味がわかったような気がしておりますし、この道を選んでよかったと思っております。。


まだまだ医師としても、人間としても未熟なわたしですが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。