尊厳をもって人生を締めくくること

年があけて毎日のブログ更新を目指しましたが、頓挫してしまいました。
とはいえ、けっして怠慢していたわけではなく、なかなか重いテーマを抱えて前に進めないでいました。

当施設『有料老人ホームまめはな』は重度の患者さんも安心して最期まで過ごしていただける場所でありたいと思っています。

ということは、同時にいつ急変するかわからない状況にあるということです。

その状況で日々一生懸命介護、看護にあたってくれているスタッフに心から感謝しています。
それを一生懸命医療のプロとして支えるのが私の役目だと思っております。

そんな日常のなか、お一人また旅だっていかれました。

パーキンソン病の末期状態でなかなか自分の意志を言葉として伝えづらくなっておられる患者さんでした。
言葉だけであれば、いろんな手段を用いればいいのですが、ご本人にとって最大の問題は舌根がおちて息を吸うのも、吐くのも苦しくなってきていたことでした。

この苦しさを取り除く、確実な方法は気管切開といって、のどに穴をあける方法です。

しかし、『のどに穴をあける』という行為は一般的には大きな侵襲と受け取られています。
今回のご家族も、当初はそこまでは。。というご意見でした。

しかし、体位を変換しても、痰を吸引してもなかなか気道の閉塞は改善しません。気道が閉塞している時は、かなりお苦しいのでしょう、汗をびっしょりかいてしまわれます。

見かねて、のどに穴をあけるというのは、ハードルが高いでしょうが、鼻からチューブをいれて舌根を押しのけるというのはいかがでしょうか?と提案しました。それなら。。と受け入れて下さいましたが、気道の確保が不十分で苦しさを取り除くことができません。

いよいよこのままだと、いつ心停止するかわからない。。となり、ご家族に最終のご意見を伺いました。そのときには、お母様の苦しい様子をみておられましたし、いつ最期のわかれがきてもおかしくない状況になって、『すこしでも長生きしてほしい』との決断を下されました。

わたしも『長生き』を第一に考えるとそうするより他ないと考えました。しかし、本当にご本人は望んでおられるだろうか、、、という点が心にひっかかっていました。

入院中は意思表示はできないと言われていましたが、施設に入所され、だいぶ状況が改善し、挨拶はされるし、聞き取りづらいものの、お話もされていましたので、調子のよい時間を見計らってご本人に尋ねてみました。

『@@さん、こんにちは。ときどき息を吐くのも、すうのも難しい時間がありますね。そんなときはくるしいですか?』

うん。とうなずかれました。

『そうですよね。その苦しさは大元の病気で舌が落ち込んでしまっておきているようです。のどのところに通り道をつくって、空気がとおるようにすると苦しさから開放されます。通り道をつくってみましょうか?』

あまりに間髪をいれずに反応されたので、びっくりしましたが、右手を胸のまえにだし、よこに3度手を振られました。

のどに通り道。。というところでびっくりされて、反射的にいやだといわれたのかもしれない。。と再度聞いてみました。

『息が出来なくて苦しい時間があることはよくわかっています。息ができないというのは、目の前がまっくらになって、言葉にできないくらいきついものだと聞いています。その苦しさから開放されるのですが、のどのところの処置はしなくてもいいですか?』

再び、はっきり手を横に振られました。

ご本人の意思が硬いことを確認しましたが、もうひとつ伝えなくてはなりません。

『息子さん、娘さんはお母様にきつい思いをさせたくないし、出来るだけ長く居て欲しいそうです。なので、できればのどの処置をして欲しいといわれていました』

手をふることはされませんでした。問いかけにも反応せず、考え込まれているようでした。

『すぐにお返事をいただかなくても結構です。すこし考えてみてください』

気管切開を予定していた日がきましたが、以前よりも気道閉塞して苦しまれる時間も減ってきており、このまま気管切開をしないで経過できるかもしれない。。と淡い期待をもちながら、それから10日後、突然旅立たれてしまいました。

ご本人の意思よりもご家族の意志を尊重し、気管切開していたらきっと、今回の突然のお別れは避けられたことでしょう。
ご本人の『しない』という選択を尊重したとも考えられます。
けれど、ご本人のもっとも大事にしていた意思がどこにあったのか。。

苦しさに気管切開はいや。。とは言ったものの、

本当は娘さんや息子さんの『もっと居て欲しい』という想いに応えてあげたかった

のかもしれない。。とも思うのです。


本日、お通夜にうかがいました。
無理をしてでも気管切開をしてほしかったというご意見、本人の意思を尊重してもらってありがたかったというご意見、ひとつひとつをしっかり受け止め、すこしでも患者さん、ご家族の心に寄り添える人間になりたいと思います。

ご冥福をお祈り致します。