なぜ有料老人ホームを作るのか。。
こんにちは。宮崎市の船塚クリニックの日高です。
もう4月22日、宮崎では藤の花、ツツジが咲き誇っております。
さて、今日はなぜ有料老人ホームを作ろうと思ったかです。
今年の7月で在宅医療中心のクリニックを始めてまる5年が経過します。
開業当初は紹介される患者さんも比較的お元気であったり、認知症であっても、薬の調整で元気になられたりと、お看取りさせていただくことがあまりありませんでしたが、月日が流れ、老衰で寿命を全うされる患者さん、また、癌の末期の患者さんがたとお付き合いさせていただくにつれ、お看取りさせていただく機会が増えてきました。
ご自宅で最期まで過ごさせてあげたい、本人も自宅で過ごしたい。。けれど、家族の負担が大きくて、または、自宅で急変したらどうすればいいかわからず不安だ。。というご家庭に対しては、何が負担で、どうサポートすればいいか共に考え、また、不安についてはひとつずつその不安を解消し、本人、ご家族にとって納得いく形をとるようにしてきました。それが、最終的に病院での看取りになろうと、自宅での看取りになろうと、その過程を踏んでからの選択であれば、積極的にサポートさせて頂いてきました。
問題は施設に入居しておられる方の看取りでした。
ご飯も自分で食べ、会話もしっかり、自分で歩けるなど、自立しているときは施設でデイサービスなどを利用しながら楽しく過ごしておられた患者さんも、時が経つにつれ、また、思わぬエピソードで医療度が高くなったりします。
そのときにその病態、病状が積極的に加療することでどれくらいの確率でどの程度まで改善するかを判断し、ご本人、ご家族とともにそのまま施設で治療を行うか、自然のままで様子をみるか、病院で積極的に加療を行うかを共に考えるのですが、そこに「施設ではそこまでは見切れない」というバイアスが入ってしまうことが多いと感じていました。
つまり、本人も、ご家族もそれまで楽しく過ごしていた施設で穏やかに、顔見知りに囲まれて過ごさせてあげたい、、と思っても、「施設では見きれない」と施設側から入院をすすめられるケースがあります。
全身状態やこれまでの経過から考えてもよくなるのは難しいので、最期までわれわれが看取って差し上げたいと思ってもそれが叶えられず、そのまま病院で旅立たれるケースが続きました。
もちろん、われわれが施設での介護力でも対応出来るような医療ケアが出来ていなかったのが原因かもしれませんが、それを差し引いても、これまで共に過ごしてこられた入居者のかたなのに、なぜ最期までみてあげないの?という疑問がわいていました。
施設の方針なので、致し方ないのかもしれませんが、入居者のかたを自分のおじいちゃん、おばあちゃんとして接していたであろうスタッフにとっては、手足をもぎ取られる感覚ではないかと思うのです。
そんな入居者のことを真剣に思いやるスタッフのためにも、また、そんなスタッフを信頼してともに生活してくださる入居者、ご家族のためにも、医療度が高いからみれないとは絶対にいわない施設を作ろうと思いました。
それは認知症でも同じです。
やはり認知症状がすすんでくると、自分で出来ることがどんどん少なくなってきます。自分でご飯が食べれなくなったり、歯を磨けなくなったり、着替えられなくなったり。。手がかかるようになってきたからうちではみれない、、ということはないようにしたいと思っています。
入居者のことを家族としてみるなんて嫌だ、仕事はお給料をもらう為のものだ、、と割り切られるかたはうちでは働けないと思っています。
自分が幸せに生きていく為のひとつのツールとしてこの仕事を選んで欲しいと思っています。
先日、在宅医療というのは大変でしょう。。と同情されました。
在宅医療というのは、24時間、365日対応しなくてはなりませんので、たしかに大変に思えるのかもしれませんが、わたしにとっては、これを仕事とは思っていないのです。24時間、365日、日高淑晶として生きていることが大変でしょう。。と言われているようなものなのです。
全然生きていることが大変だと思いません。24時間、365日生きているだけで、たくさんの方と知り合えるし、たくさんのかたをサポートさせていただけて、ありがとうと言ってもらえるのです。これ以上の喜びはありません。
この人生の喜びをぜひ共に味わって頂きたいと思っています。
そんな仲間が一人でも増えるといいなと思っています。
たくさん増えたら、そんな仲間がたくさん活躍できる場所をもっと増やしていかねばなりません。それもまた、わくわくです。