アベノマスクって、笑ってませんか?

いつ非常事態宣言を出すか。。が国会で盛り上がっているようですね。
 
私たちは政権、あるいは政治に何を期待しているのでしょう。
 
非常事態宣言がでれば、新コロが収束するとでも?
 
非常事態宣言の目的は社会資源、あるいは個人の資源を必要なものに振り分けられる権限を国に付与するというもの。
 
非常事態宣言がでなければ自粛をしないのか?それがでれば、おとなしく自粛するのか?
 
自分の行動を政治に決めてもらわないと動けないのか。。と思ってしまいます。
 
私はみんながみんな自粛すべきだとは思っていません。
 
自分の抵抗力、免疫力、行動範囲を自分で判断して、今じゃなくてもいいものはすこし控えたらいいと思っています。
 
いまの不協和音はどこから来ているんでしょう。
 
家のなかに自粛ばかりしていたら、社会がまわらない、3密は避ける、山や海などの自然の中ならいいだろう。集団免疫こそ目指すべきだ。。という考え方。
 
それも一理あると思います。
 
一方、2週間、みんなでじっとしていれば、ウイルスも自然経過でなおる人は治るし、軽症の方は病院にいかず、医療崩壊も防いでおけば、重症化したひとに、医療機関で治療を受けさせてあげられるし。。いまはみんなで我慢でしょ。。
 
それも正しいと思います。
 
そこに横たわる溝。
 
大丈夫かどうかが見える化されていないためです。
 
PCR検査をどんどんして、PCR陰性のひとは、『白』だから動き回っていいか?もちろんNOです。PCRをどんどんすることは医療崩壊につながります。PCR陰性をあたかも『免罪符』のように自粛要請を無視しているようですが、検査の正確性が100%でもありませんし、今日陰性だからといって、明日感染しないという保証はありません。
 
わたしがすすめているビタミンD濃度も、いったいどれだけの値があれば、どれだけ安心かも分かっていません。同じ濃度の方でも、どれだけの量のウイルスにさらされるかでリスクも変わります。
けれど、ひとつの指標になることは確かです。
ビタミンDが低ければ、より気をつけ、ビタミンD,ビタミンCをとりましょう。
ビタミンDが高ければ、不要な心配はさけ、自分の出来る範囲で行動していきましょう。
 
N95のマスクをし、しっかり手洗い、消毒をし、ビタミンCもしっかりとっています。私のビタミンDは100ありますって背中に貼っているひとは、多少密なところにも行っても大丈夫じゃないかとわたしも思います。(でも、L型の新コロだとどうかな。。)
 
そんな見える化をすこしづつやっていけると、国民の不協和音も減るし、国民もやるべきことが見えて、すこし落ち着くのかなと思います。
 
現状は、手洗い、マスク、うがい、3密を避けよ。生活を自粛でよ。だけですよね。(もう、1ヶ月以上、こればっかり)
クラスター対策だけでは拡大を避けられない現状になってきています。
 
ワクチンや特効薬ができるまで生活を自粛せよだけでは、ウイルスを抑えるほどの自粛は困難ですし、社会の不満が高まります。そして、医療崩壊が近づいています。
 
自分たちに出来ることは何でしょう?
 
少なくとも、マスクが2枚だけって。。20万の自己申告性って、、非常事態宣言をいつ出すんじゃ。。
そんなことばっかり言っててもショウガナイ。
 
各人が自分の命を自分で守る努力をしていきましょう。

自粛について

『コロナ疲れ』『自粛疲れ』という新語が出てきましたね。

自粛しすぎると経済が死んでしまう。。というのは確かに事実でしょう。

ただ、いまの『かかっても8割は軽症ですむから大丈夫じゃないか。。』という空気は危険だなと思っています。

 

いやいや、あんた、この前まで、社会が停滞しているだの、風評被害をやめようだの、落としどころは集団免疫だの。。と言っていたじゃないか。。と思われるかもしれません。

 

それも事実です。

 

今、『大丈夫じゃないか』という空気が怖いのは、何の対策もしないまま、いわば丸腰で、火中の栗を拾いにいくようなことになっていないかということです。

 

マスクをしています。手洗い、うがい、アルコール消毒をしています。。

 

そういわれるかもしれませんが、ある程度予防はできても、完璧ではないことは明らかです。

外からの侵入をいかに防ごうとしても、十分でないことは事実としてとらえましょう。

また、今回の新型コロナウイルスに対する特効薬もまだ見つかっていないことも事実です。

 

だから、すべて自粛したほうがよい。。とも思っていません。

 

いままでのストーリーはこれまでの医療と人間がたどって来た道をなぞっているように思えるのです。

 

いわゆる現代医療が発達していなかった時代、感染症や病は祈りや呪術に頼ったことがありました。このうち、感染症は公衆衛生の重要性に気付いた先人がいたり、細菌やウイルスを発見し、抗生剤をはじめとする薬で劇的に治すことが出来るようになりました。病については、いろいろ思うところがありますが、少なくとも現代医学において、なぜその症状が起きているのか、症状に対しての現象論、対症療法は進んできたように思えます。

 

今回も、新型コロナウイルスという感染症に対して、どういうウイルスなのか、どういう公衆衛生的対応をすればいいのか、どういう薬が効果があるのか、世界中の研究者が必死にがんばってくれています。

 

もう一つ、医療と市民との関係でいうと、これまでは、いわゆるパターナリズム(父権主義)といわれる、『病気の事は医者に任せておけばいい』というものになってしまいました。

 

これについても、健康、病気についてどこまで自分で考えているでしょうか?

今回の阪神藤波選手のように、いつもと味覚が違う。。というちょっとした感覚に気付けるでしょうか。少なくとも毎日自分の便や尿に気を使っているでしょうか?

あなたは何をもって、『自分は健康だ』『自分は新コロにはかからない』と自信を持って言えるのでしょうか?

 

この状況で、『コロナ疲れ』だ『自粛疲れ』だと無責任に行動する事は非常に危険だと思っています。

 

どうすればいいのでしょう。

 

私の考えるキーワードは

人間力への回帰』『remember your humanity』

です。

 

もっと人間の抵抗力であったり、決断力であったり、相手や社会を思いやる心であったり、未来を予測する力であったり、そんな人間力を信じてみてもいいのではないかと思うのです。

 

残念ながら、いまの医学では人間の抵抗力や免疫力を見える化できません。

ただ、そのなかでも、ビタミンD濃度はその濃度と感染に逆相関がみられるという論文があります。(つまり、ビタミンDが高ければ感染しにくい)

関連がどこまであるかは未知数ですが、抗酸化力であったり、免疫を司るリンパ球や好中球も測定は可能です。

 

いかにウイルスをやっつけるか、あるいは、いかに取り込まないようにするか。。という視点から、いかに自分の内面の力を高めるかに考え方をシフトする時期が来ていると考えます。

 

旬なものを食べたり、食物繊維をとり、腸内環境を整えたり、タンパク質をしっかりとったり、ビタミン補給したりという、よりポジティブな生活はもちろん素晴らしいですが、まずは夜更かしをしない、アルコールを飲み過ぎてビタミンや亜鉛を無駄遣いしない、タバコを吸わないなど、避けるべきものからやってみるといいのかもしれません。

 

そして、ご自身のビタミンD濃度を一度計ってみて下さい。

 

そうやって予防しても、感染するかもしれません。感染して症状がでれば、もちろん自宅で安静、あるいは重症であれば病院に行きましょう。その場合も、自宅安静で十分なのか、病院受診すべきなのか、自分と向き合って自分で判断しなければなりません。闇雲に病院受診をすると医療崩壊につながります。

 

感染しても無症状というかたもおられるでしょう。

あなたがどういう立場にいるかで、どういう行動をとるべきか、これも自分で考えなくてはなりません。

わたしはビタミンB,C,D、亜鉛をとりつつ、血中ビタミンDも高めを維持しています。また、気力も充実しています。なので、感染しないだろうと考えています。しかし、感染しているかもしれないと考えて、アメリカからの帰国後2週間弱自宅待機しました。

 

だれかに行動指針を提示されて、それに従うのではなく、また、一律に個人の行動を批判するのではなく、一人一人が考えるべきだと思います。

 

 

 

卒業おめでとうございます。

3月といえば、やはり卒業ですね。

わたしの子供もこの春に中学校と小学校、そして幼稚園を卒業します。

学校を卒業されるみなさん、そして支えて来られたご家族のみなさん、卒業おめでとうございます。

新型コロナウイルスによる騒動で、長い休校期間に入ってしまい、卒業の実感がわきづらいかもしれませんが、みなさんだけに許された経験だと思って前向きにとらえてみてください。

さて、学校生活はいかがでしたか?

みなさんが卒業した、学校って一体なんだったのでしょう?

そして、次に進学するのであれば、そこでは何を学ぶのでしょう。

7歳の年になったから家の近くの小学校に行き、毎日の宿題に取り組みながら、中学校に進み、そして、高校、大学。学年がすすむにつれ、出来るだけ成績のよい学校を目指して日々勉強へのプレッシャーも大きくなってきたはずです。

これまではいかに正しい答えを導きだせるかが、評価の対象でした。

しかし、大学を卒業し、社会人となると、急に正しい答えが評価の対象ではなくなってしまいます。ともすると、正しい答えもあるのかないのかさえ、わからなくなってしまいます。

戦後、あるいは、高度成長の時代は拡大する事こそ正しい答えであり、それを社会が目指していましたが、多様な価値観が現れてきた現在、正しい答えを見つけることが難しくなっているのは事実です。

そのような時代にみなさんは社会人への準備期間を過ごしているのです。

そのような社会でも幸せに暮らしていけるように、年齢に応じたカリキュラムが組まれていれば、いまの社会でも十分対応していけるのでしょうが、残念ながら、まだまだ十分とは言えません。

昨年、東京大学の入学式で上野ちずこさんが「がんばっても公正に報われない社会が待っている」と話をされたとニュースになったことを覚えておられる方がおられるでしょうか。

けして、東大だけの問題ではありません。

いまを生きる私たちひとりひとりに課された問題なのです。

正しい答えを見つけるトレーニングをしてきた私たちが、社会に出たとたん突然答えのない問題に向き合うことになります。

これまでやってきた努力の方法では対応出来ないかもしれないのです。

 

正しい答えのない問題に対して、だれかが問題を解決してくれるまで待つという選択枝もありますし、ただただ目を背けるという選択肢もありますが、わたしは、その問題に対して自分なりに情報をあつめて、自分に出来る事をひとつひとつやってみたいと思っています。その結果が正しかったかどうかは実は問題ではなく、行動して何かしらの結果を得た事、そしてそれを次にどう活かそうとしているかこそが尊いことだと思うのです。

今回の新型コロナウイルス問題も社会がどうすればいいのか、万人に当てはまるような答えはどこにもありません。個人個人が自分の置かれた環境でどのように立ち振る舞うべきなのかを考えて行動しなくてはなりません。そして、考えて行動する為には、必要な知識や技術を蓄えておかねばなりません。そのために勉強しておくのです。

いまのカリキュラムはやっても無駄なのかというとそんなことはありません。答えのある問題にちゃんと答えられるからこそ、この問題には答えがないということがわかるのです。

人生に無駄なことはひとつもないと考えています。

卒業生のみなさん、ひとつの区切りがつきましたね。明るい未来にむかってまた歩いていきましょう。

My mission

What is your mission in your life?
 
My mission is supporting people to being happy all over the world.
 
At first, how about me?
Of course I am happy.
 
I live in my life by myself. I cannot live other's life.
I obey my feeling. I don't care other's judgement.
 
I know my important things.
I don't care other's important things.
 
あなたのミッションは何ですか?というと硬い話のようになりますが、今日は再度自分のミッションを見直す機会を得ました。
 
2年前にミッションを考えたときは、
『わたしは社会のリーダーであり、一つの指針を指し示す』
というものでした。
 
自分にできること、また、天からの試されごとをさせていただいた結果、なんだか違うということに気付かされました。
 
「一つの指針を指し示す」ことは、単なる自己満足に過ぎません。極論するとわたしが気持ちよくなるだけで、まるでまわりのことを大事にしていません。
 
もちろん、まわりのみなさんの為になるような指針を指し示したいと考えてはいたのですが、どこかで違和感が生じていました。
 
2年経って、いま思う事は、
『世界中の人が幸せに過ごせるようにサポートすること』
です。
 
そんなの出来っこないと思われるかもしれませんが、やってみなきゃ分かりません。
やりたいのです。
みんなが笑顔で、それぞの人生を幸せに過ごして欲しいじゃないですか。
 
自分の人生を生きましょう。
自分の感性、直感に従って生きましょう。
自分の大事なものを見つめましょう。
 
少なくとも私はいま、幸せです。

宇宙の力

阿蘇に来ています。満天の星空を見ていました。星空をみると流れ星を探そうとします。そして流れ星が消えるまでに3回願わなくちゃ。。といつも考えます。
 
いままでたくさん流れ星をみてきて、3回願えたためしはありません。
 
けど、たいてい願いはかなってきました。
 
つまり、願いであったり、こうありたいという想いを心に持ちながら、星空をみていると、宇宙が力を貸してくれるのかもしれない。。今日はそう思いました。
 
『宇宙の力』。。。そういうものがあるかどうかは分かりません。それは、いまのわたしたちに見る能力がないためです。あるいは、その能力を磨こうとしてこなかったからかもしれません。
 
災害のまえに動物達がいつもと違う行動をとるのは、もしかすると自然の力、宇宙の力を感じることができるのかもしれません。
 
宇宙、地球、自然に比べていかに人間がちっぽけか。。逆にいうと、宇宙や地球の力を持ってすれば病気も含めて人間の困り事なんて、簡単に片付けられるのかもしれません。
 
これからの時代、大事なのは見えないものを信じられる力だと思っています。
 
9月9日は重陽節句。院長の誕生日です。この世に生まれてこれた幸せ、この世でやるべきことはなんなのか、南阿蘇こんなことを考えています。

『健康の未来を考える』市民講座します。

こんばんは。ちゃんとブログがYahooブログから移行されていますね。すごい。
 
さて、唐突ですが、2019年11月24日に市民講座を開かせていただきます。
それも500人規模。
いままで、こまごまと勉強会を開いてきましたが、100人はおろか、50人も集めたことがないのに、いっぺんに500人。
いろんな人に止められましたが、やるといったら、やるのです。
 
それは、『意地』ではありません。それだけたくさんのかたに『伝えたい』と思っているから。。
 
さて、どんなイベントか?
 
『健康の未来を考える』
 
というタイトルです。
 
わたしたちは健康でしょうか?
 
そもそも健康ってなんでしょうか?
 
病院に行って『私は健康でしょうか?』と尋ねてみてください。
 
薬を飲まないといけない状況だから病気ですね。
 
とか
 
特に血液検査上異常がないから問題ないですね。などという答えが帰ってくるか、あんまりしつこく質問すると、心がやんでるんじゃないかと別の科を薦められたりするかもしれません。
 
健康診断といって、実際は病気がないかどうかを診断するだけだと思いませんか?
 
病気になってからでは遅いですし、そもそも病気の定義がはっきりしません。本当にだれかが決めた血圧の範囲に入っていないといけないのでしょうか?血圧って低ければいいのでしょうか?なにか原因があって身体が高めに維持しているということはないでしょうか?
 
病気に対して薬で症状を改善してくれようとはしますが、ここ一番で元気を出したいときや、もっと頭をキレキレに人生を過ごしたい、もっとハツラツと人生を過ごしたい、というときに、その希望をいまの医療機関は叶えてくれるでしょうか?
 
これをしたら病気になるよ、これを飲まないと合併症が怖いよ。。『これをしなさい。さもないと。。』という論理で成り立っているように思えます。病院に行って、晴れ晴れ、浮きうき、よーしやってやるぞ。。って自宅に帰ったことがありますでしょうか?
 
われわれは医療に何を求めるのでしょうか?
 
自分の人生を楽しく生きていきたい。そのために身体のメンテナンスをして欲しい、できれば心のメンテナンスもお願いしたい、そのサポートではないでしょうか。
 
病気でないこと、病気を治すことではなく、病気にならない身体でいたいし、くよくよ考え込まず、前向きに、いつも笑っていたい。。それを医療に期待してもいいはずです。
 
わたしたちの考える
 
『健康の未来』
 
はそういうものです。
 
このように医療、健康を考え、全国で活躍している医師、歯科医師が40名弱宮崎にミーティングのために集まります。
 
せっかくだから、市民向けに講演を企画しようと始まったイベントです。
 
『自分の健康』はだれが提供してくれるのでしょうか?
間違いなく、自分でつかみ取らないとだれも与えてくれません。
 
ぜひ、一緒に『健康』について考えてみましょう。
 
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ブログ移行難航

いままで船塚クリニックブログをYahooブログで書いていましたが、Yahooブログが閉鎖するということで、昔お世話になっていた『はてな』に移行させることにしました。

なかなかうまくいきません。

産みの苦しみです。

 

もっとも、こんな夜中にしているから頭がうまく働いていないかもしれないのですが。。

#船塚クリニック

#夜中ははなちゃんふくちゃんもちゃんと寝てる

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